十人十色(じゅうにんといろ)

元SMAPの人がツイッターで

『出勤の人の流れみて 色がないなぁ.と 俺は色だらけなんだなぁ.と 思う朝』

とつぶやいたそうです。

 

サラリーマンの通勤を見ていて思ったのだと思いますが、言いたいことはわかります。

しかし、言い方は良くないかと思いますよね。

 

今の世の中は、すぐに自分の意見を世の中の人に伝えられます。

やっぱり悪口を言う人がいるわけです。

悪気はなくても、それをこころよく思わない人もいるわけです。

 

色って何ですかね。服の色のことでしょうか。個性でしょうか。

個性は外見だけではありません。同じような服を着ていても、心の中までは同じとは限りません。

 

しかし、会社員のほとんどが同じような服をきて、ネクタイをしめて仕事していることにも疑問が無いわけではありません。

サラリーマンは社会の歯車なのか。歯車にだって誇りがある

お飾りは無くても社会は成り立つが、歯車は一つ欠けたら動かない

 

 

最近の子供たちは、塾長の世代に比べて真面目な子供が多い気がします。

給料が高いという理由で弁護士やパイロットを目指した塾長ですが、慎重に将来を考えている生徒を見ていると、ずいぶん大人に見えてきます。

 

 

話は変わりますが、『子供』って『子ども』(交ぜ書きという)になっているんですよね。小学校の人から言われました。『こども』を『供える』『お供する』を思い出して差別になるらしいです。

(「子ども」はあるけど「こ供」って無い。)

しかしながら、文部科学省の公文書では『子供』に統一するそうです。差別表現にはならないとの公式見解だそうです。

広辞苑にも『子供』としか書かれておらず、もはや『供える』などはこじつけかと思われます。

 

昔の漢字の成り立ちや勝手な想像で、今使われている字を変えようとすることがあります。

時代の流れで変わっていくべきなのか、過去は過去で気にする必要が無いのか。

 

一部の人たちに振り回されるなんて、たまったものではありませんけどね。

 

 

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塾長語録 『今日も昨日と同じか?』

この前の成人式の日、卒業生が塾に来てくれた。中学生だった彼らはもう大人だ。

時を異にして、別の卒業生が塾に来てくれた。塾長が相談相手であり、塾長の相談相手だ。

 

今年もそろそろお別れの時が近づいてきた。

また、違う始まりの生徒もいる。中学進学、高校進学、学生に休む暇はないのだ。

 

卒業生と言ったが、この塾に卒業は無い。区切りをつけるのがイヤだからだ。

この塾は道場である。生涯稽古。

塾生の成人式をやろうと思う。

 

お会いしたその日から、別れの時の来るのが辛うござんした

(男はつらいよ  車 寅次郎)

 

 

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