「梶原塾塾長録」カテゴリーアーカイブ

言われたことをやってみる

高校生も中学生も、小学生だってテストばっかりです。

 

テストで簡単な失敗をするとくやしいですよね。

失敗しないようにするにはどうするのか。

 

1.見直しをする。
2.指差し確認
3.しるしをつける

 

などですが、結局は時間が足りなくて、この3つの何もできずにテスト時間が終わると思います。

 

それはなぜか。勉強が足りないことに他ならない

 

質問「時間がたりませんでした。」 

塾長「解く速さも学力のうちである。」

難しい問題はあきらめて、簡単な問題を見直すこと。と何度も言っていますが、何年たってもやってくれない生徒が多いです。

 

質問「ちゃんと寝ないとダメなんです。」

塾長「いくらでも寝ればいい。点数が取れると思うのなら。」

早く寝た方が健康にいいに決まっています。出来ない問題があるのに、寝て出来るようになるわけがない。早く寝た方がいいのは普段から勉強している人が言えること

 

 

将来使いもしない勉強なんて、やりたくなかったらやらなくてもいいんですよ。

『それでも将来、望んだ自分になれるのなら

 

必死に勉強したって、なりたいものや、やりたいことができない人ばかりです。

 

「守・破・離」という言葉があります。

守:まずは指導者の言ったことを守る・・・・・小中学生はここ

破:指導者の教えを超える努力をする・・・・・高校生あたりから

離:自分なりの考え方を確立する・・・・・・・大学生以上

 

塾長の指示は厳しいかもしれませんが、無理なことは言っていません。

まずは『言われたとおりにやってみる』ことです。勉強でもスポーツでも。

 

それでできなかったら塾のせいにすればいい

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今日も昨日と同じか

選べる立場にある。

 

テレビのチャンネルはなぜ増えないのか。

見たいところはCMの後で・・・こんなバカげたテレビからは解放されるべきだろう。

外国のアメ職人がアメを作っているだけの動画があった。これがどうにもおもしろい。

見るものを自由に選べるようになってきたが、選べるというのは幸せだ。

学校は選べないし先生も選べない。(選べるが金がかかる)

もちろん親を選べないし、子供を選べない。

選ぶものが多いというのは、いいことばかりではない。どれを選んだらいいか分からなくなる。

塾長が大学に入ったころは、将来こんな小さい塾で働いているなんて当然思わなかった。

選んだものが間違えていることもたくさんある。

 

最大の危険は、リスクを冒さないことにある

       キルケゴール(哲学者)

進路をどこにするか

「チョコレート戦争(せんそう)」という本を小学生のときに読みました。

内容(ないよう)もおもしろかったのですが、今でも(おぼ)えているところがあります。(内容(ないよう)は紹(かい)しません・・・)

 

(くつ)(みが)きにも(ほこ)りがある

 

仕事(しごと)にエラい、エラくないはありません。何事(なにごと)にも一生懸命(いっしょうけんめい)にやる人はチャンスが多いということ。

仕事に失敗(しっぱい)して、(くつ)(みが)きとして再出発(さいしゅっぱつ)した登場人物(じんぶつ)は、ケーキ屋さんとして成功(せいこう)します。

 

だれでも一生懸命にやれば成功するのかといえば、それは(ちが)います。

どんなに頑張(がんば)っても失敗するときは失敗する

 

でも、この国の人は頑張っている人を怒れないという習性(しゅうせい)があるように思います。

実際(じっさい)はそんなに単純(たんじゅん)ではありませんが、自分の道は自分で開くしかありませんし、結局(けっきょく)は自分が頑張らないといけない。

 

無理(むり)をする必要(ひつよう)はありませんが、無理をしないといけないときもあるんです。

 

今の子供たちは(むかし)(くら)べてマジメだと思います。それと同時(どうじ)に、(よく)が無いようにも思えます。

塾長みたいに、単純に給料(きゅうりょう)が高いという理由だけで弁護士(べんごし)を目指すような子供はいないようです。

別にそれはいいと思いますが、「(えら)くなりたいわけじゃない」「尊敬(そんけい)されたいとは思わない」などはよく聞きます。「自分の好きなことだけやりたい」ということですが、これは良いとは“言えない”のです。

 

それはなぜか。

この国の教育の目的は、『人格(じんかく)完成(かんせい)』だからです。

簡単(かんたん)に言うと、人格者(じんかくしゃ)尊敬(そんけい)されるような素晴(すば)らしい人)にすることです。だからといって、完璧(かんぺき)な人間になる必要はありません。あくまで、完成された人間を目指して努力(どりょく)し、自分に合ったものを見つければいいということです。

 

完璧な人間なんていません。目指すことで意味を見つける。

 

教育は、はじめは大人たちの考え方の押し付け(おしつけ)です。

君たちが(のぞ)む、望まないは関係(かんけい)ありません。

 

だけど、押し付けられたということは、大人になった時にそれが間違(まちが)っていると思ったら、世の中を変える権利(けんり)があります。ぜひ挑戦(ちょうせん)してください。

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今日も昨日と同じか?

何も気にしないのは無関心(むかんしん)なのか。

 

ちょっと前に、店で『ごはんが勝手(かって)に少なくされた』といって(おこ)っている女性がいた。まあ、同じお金を(はら)っていれば男性より少なかったら怒るのも無理(むり)はない。(ぎゃく)に男性は勝手に大盛(おおもり)になることも時々ある。

塾長は(あま)いものが好きだ。二人でバナナシナモントーストとベーコンエッグチーズトーストを注文すると、女性の方にバナナシナモントーストがだまって()かれる。そして支払伝票(しはらいでんぴょう)が塾長に(わた)される。『甘いものは女性、お金を払うのは男性』という文化(ぶんか)がまだ(のこ)っているのだろうか。

塾長はあんまり気にしていない。だが、これからは気にしなければいけないのだろうか。

「女だって大盛食わせろ」と言っていたが、「塾長にもケーキ食わせろ」?

もう塾長は変えられない気がする。若い人たちが変えていってくれればいい。

 

美しい(ひとみ)である(ため)には、他人の美点(びてん)を探しなさい

                  オードリー・ヘップバーン

大人の育て方(武井 壮)

武井壮という芸能人で陸上競技をやっている人が、「大人の育て方」という講義をやっていました。

 

この人は家庭環境が悪く、とても苦労された人です。

人の何倍も努力して、今の地位にありますが、努力だけでは言い尽くせないものがありました。

 

塾長が『大人の育て方』を見て驚いたことは

「陸上競技で日本一になっても、お金を稼げない」ということです。

 

それはなぜかというと、それ(陸上競技を見ること)を求める人が少ないからです。

年に1度しかない大会で、5万人も入る競技場を埋めることができないそうです。選手一人当たりでいうと、20人の観客を呼ぶこともできないらしいです。

 

もちろん、お金のためだけにスポーツをやっているわけではないと思います。でも、何百億円とお金をもらうプロスポーツ選手は大きな夢ではあると思います。

 

塾長を例にすると、剣道を35年、居合道を20年という経験がありますが、これでお金を稼ぐことは全くできません。それどころかお金が出ていく一方で、時間もお金も無くなるだけです。

長い経験があるので、初心者に教える立場にはありますが、ほとんど自己満足でしょう。

 

別に後悔はしていませんが、今はそこまで楽しんでいるわけでもないので、なんだったんだろうなぁと思うことはあります。

 

 

でも、年を取って発見することもありました。

それは、プロスポーツ選手とまではいかなくても、指導者、コーチなどで活躍できる人が多いということです。また、スポーツ(塾長でいうと武道)で人とつながることも多いです。

プロとは違い、生活のためではなく、自分や人の人生のためになります。

 

 

勉強やスポーツ、部活動、趣味、何にどれだけ時間をかけるのか、ちょっと考えてみてください。

 

この武井さんですが、もし自分の子供にスポーツをやらせるとしたら『クリケット』だそうです。

競技人口が多くて、すごく儲かるそうです。

 

金か夢かわかりません。

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今日も昨日と同じか

人間は自然の中では生きられないのか。

 

今年は気温が36度という日が何日もあった。塾長の人生でもこんな年はなかったように思う。

思えば今年の夏も、涼しい部屋にずっといる毎日だった気がする。家から塾まで歩いているときだけ汗をかく。

エアコンが無いと危険なことはわかるが、この地球に生きていて、機械が無いと生きていけないというのは正しいのだろうか。

エアコンはおろか、スマホが気になって仕方がない中高生の、今後の人生が心配である。

 

便利な世の中になって、世の中は複雑になっていく。

 

少にして学べば、則ち壮にして為すことあり

(若い時に学べば、大人になって役に立てる)

               佐藤一斎

学力は簡単なたし算 2022

毎年同じようなことを書いています。

 

学力を上げるには、単純に勉強量(演習量)です。わかりやすい授業を受けても練習しなかったら出来るようにはなりません。

本に書いてあることを説明されただけで野球やサッカーがうまくなりますか?楽器が弾けるようになりますか?

 

わかりやすい授業を受けただけで成績が上がったら誰も苦労しないんですよ。

 

有名講師の予備校に行ったって、自分がやらなければ学力は絶対にあがらない。

 

いろいろな事情はあると思いますが、塾長が言うような勉強量がこなせないのなら、学力は自分が思っているようには上がらないのです。

 

  • 部活も長引いていますが、部活を理由に勉強から逃げてはいけません。

過去に野球やテニスで県大会や全国大会に行った生徒も、他の生徒と同じように勉強していました。

 

一流とは一つの流れ

部活をやるならそれも良い。部活は今しかできない。しかし、受験に失敗したときの責任は全部自分です。塾長の先輩は、浪人覚悟で部活をやりました。それはそれで立派でした。

 

 

「痛み無くして成果なし」

目標が高ければ高いほど、痛みも強いものになっていきます。

塾長は高校受験のときに、偏差値を20ちょっと上げました。それは、休日1日15時間、学校がある日は午前1時まで勉強という、今の時代にはおススメできないような勉強時間です。

 

みんなも人間、塾長も人間。やれば意外とできるもんです。

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今日も昨日と同じか

できないことが分からないということ。

 

久しぶりに中学校に剣道の指導に行った。

試合前なので、1年生に試合のやり方を指導していた。1年生の中にも経験者がいて、やはり初心者とは違って強かった。

しかし、声が出ていないので1本取れない。剣道は声が出ていないと、いくら当たっていても勝てないのだ。先輩や先生から「声をだせ」と言われても、結局声が出ることはなかった。

 

声を出すという簡単なことなのだが、気持ちの問題である。

そうこうしているうちに、飲み込みが早い初心者に1本取られてしまった。

技を教えることは簡単だが、気持ちを変えるのは難しい。

 

五ツある くせをばひとつ 直しつつ あとの四ツをば しだいしだいに

                                  竹内流捕手腰廻小具足

1学期の終わりにむけて 2022

中学校では期末テストが終わり、高校生は中間が終わって期末テストが始まるころです。

 

中学生のテスト前の約2週間の勉強時間を見てみました。

だいたいの時間ですが、一番勉強した生徒と、勉強していない生徒を見てみましょう。

 

一番勉強した生徒(3年生) 60時間前後(去年は80時間ぐらい)

一番勉強していない生徒(1、2年生) 15時間前後

 

4倍ぐらい違うのですが、今年は去年よりだいぶ少ないです。

 

受験生優先なので、1年生は少し早めに帰宅してもらっていました。

2年生の勉強時間が少ないことが特に目立ちます。塾長は毎年のことなので、2年生が勉強しないことには慣れているのですが、解決策はなかなか見つかりません。

しかし、普通に順調な成長過程だとも思っています。

 

『中学生の時に、もっと勉強しておけば良かったなぁ』と思うことは普通です。

塾長だってそう思いました。

 

 

時間はみなさんに平等にあたえられています。自分の勉強時間をたしかめてみてください。

成績が上がらなかったら、もっと勉強しないといけないということです。

 

『勉強している時間』を増やさなければ、学力は上がりません。

勉強している時間とは、授業を聞いている時間ではなく、ましてやボーっとしている時間ではありません。自分で考えていたり覚えたりしている時間です。

宿題は勉強ではありません。作業です。『宿題をする』であり、『宿題を勉強する』とは言いません。

 

 

勉強は質も量も必要です。まずは量を増やすことです。無駄を経験しないとわからないことがあります。最初から効率よく勉強はできません。

 

 

あと、自分のやり方で勉強したいということも毎年聞きますが、偏差値が70を超えるような、塾長に教えられる必要が無いぐらい出来るようになったら言ってください。

もっと勉強すればよかったという後悔は、取り返すことができません。自分に納得のいくようにしてください。

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今日も昨日と同じか

雨だと気分が乗らないのは動物でも同じらしい。

 

花札は知っているだろうか。和製のトランプだろう。その中に、おっさんが雨の日にカサをさしている絵のカードがあり、横でカエルが木の枝に向かってジャンプしている。

このおっさんは小野道風(おののとうふう)といって、自分の実力に悩んでいた。そこで雨の日に1匹のカエルを見た。そのカエルは枝につかまろうと何度もジャンプしては失敗を繰り返していた。何度も何度もチャレンジするうちに、ついに枝をつかんだ。

道風はこのカエルを見て、あきらめずにチャレンジすることを学んだのだ。

 

このおっさんとカエルの絵札は、雨という種類のカードだ。「小野道風とカエル」は強力なカード、雨は雨でも気分の良い雨である。

 

道をえらぶということは、かならずしも歩きやすい安全な道をえらぶってことじゃない

                                      ドラえもん

やりたくないこと

塾長にも、学校でやりたくないことがありました。

 

体育祭は、小学校も中学校も応援団長でしたが、なぜだか希望もしていないのに応援団で、しかも団長にさせられていました。最高学年になると応援団に入らされて、しかもまとめさせられる。嫌な思い出しかありません。今思い出しても、“良かった”とは思っていないです。

 

合唱は、いまだにやる意味がわかりません。塾長は歌が苦手なので拷問に近いと思っています。

大学の授業で、小学校や中学校では合唱などの特別活動が大切だと勉強しましたが、それでも納得していません。

大学の音楽の授業では歌ばっかりでしたが、音楽の授業で嫌な思いをしてきた人が多いことを先生はわかっているようでした。それだけが救いに思えました。

 

塾長が小学校4年生ぐらいだったころのある日、夏の体育の時間でプールの予定でした。その日はくもりで時々雨が降っていて少し寒く、プールに入れるかギリギリの気温でした。

先生たちが話し合った結果、プールに入ることになりました。

教室中が「やったー!」との声で喜んでいました。

しかし塾長は寒いのが嫌いで、プールも嫌いです。だから、みんなより1秒遅れて喜ぶみんなに合わせました。泳ぐのは得意な方なので、友達は、塾長がプール嫌いなことは分からなかったと思います。

 

たぶん、大人たちや学校の先生は、「やりたくないことも勉強のうち」と言うのだろうと思います。

しかし、「やめる」という選択肢が残されていないことには納得できません。

 

塾や勉強は嫌なら辞めることができます。

 

 

勉強が少しできたところで、誰もほめてくれませんでした。

小学校は足の速いやつが、中学校は少しやんちゃなやつが、高校はおもしろいやつ、野球部やサッカー、バスケ部のやつらが男子のヒエラルキー(身分制度)のトップにいるのです。

 

 

不公平だと思うこともありますが、平等は後からやってくることもある。

かっこよくてモテてたあいつは30歳で体重が2倍になり、髪の毛は半分に。

 

これからの時代は、「やりたくない」が選べる時代になっていくのかもしれません。

しかし、やりたくないことができる人の方が強いんだろうなとは思います

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今日も昨日と同じか

差別はなくならない。

 

ほかと分けることを差別という。

シンデレラは美しいだけで金と名誉を1日で手に入れて、見かけが悪いおじさんは、公園のベンチに座っただけで通報される。これはどちらも差別である。

年を取ると、アイドルの顔がみんな同じに見えてくるのは本当だ。

どこの塾も予備校も、女子高生の絵やモデルが使われているが、あんなものに意味があるのだろうか。世の中の中年は、みんな同じにしか見えていないと思う。

東北大学が、女性限定の教授を募集したそうだ。男女格差を無くすと書いてあったが、本当にそうだとしたら、性別で募集するのは間違いではないだろうか。

 

同級生の女性が「結婚したら仕事したくない。」と言っていた。

これも価値観の一つだろう。

 

笑われて笑われて強くなる

                                   太宰 治

思いのほか高い山

スマホ依存は、人類共通の悩みでしょうか。

自分の感情や欲をおさえる精神力を自制心と言います。

 

スマホを気にしながら勉強したら、進みがものすごく悪いのは誰でもわかることですね。



いいですか、受験生諸君
ちょっと勉強したぐらいで簡単に成績が上がると思っている。甘すぎる。

今までの2倍勉強したぐらいで、誰よりも勉強したと思っている。現実を見た方がいい。

 

偏差値60以上の高校に行く生徒は、1年生のうちから毎日勉強し、テスト前は1日5時間も6時間も勉強しています。土日だって10時間以上勉強するでしょう。

そんな毎日コツコツ積み上げている生徒に、たった半年や1年で追いつけますか?

1日1時間の差は1年で365時間の差になります。この差をどうやって挽回するのでしょうか。

自分だけは特別だなんて思わないことです。

 

塾長が、何が気に入らないのかというと、今までよりもちょっと勉強したぐらいで、今までずっと勉強してきた生徒と同じような結果を求めるというバカげたことを言うことです。

結果をマネしようとするのではなく、努力をマネしてください。

 

あなたの「やってる」は、やってるうちに入らない。

勉強は簡単な足し算です。今以上に勉強しなければ、今以上の成績にはならない。勉強が難しくなるにつれてだんだん成績が下がってくるはずです。質より量ではなく、質も量も必要なんです。

簡単な話なので、受験生にはぜひ理解してもらいたいです。

 

特に新中3年生、あと10カ月半で受験だということが分かっているのでしょうか。

やらなきゃ出来るようになるわけがない。

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今日も昨日と同じか

ケンカするパワーがある。

 

年を取ると、人も動物もおだやかになっていく。(はずである。)

しかし、戦争を始めるのは老人である。全然おだやかではない。

若者が戦争の最前線に送られて死んでしまう。生き残るのは年寄りだというのはむなしい。

賢いはずのえらい人が、若い人に銃を持たせ、戦車に乗らせ、戦争をやらせる。

本来はケンカしている若者を止める役割をしなければならない。

 

勉強は、ケンカをせずに相手と話し合う知恵を身につけるもの。(これだけではないが)

戦争をしないために勉強をするのだ。

 

一文は無文の師、他流に勝つべきにあらず。きのふの我に今日は勝つべし

                                       新陰流兵法

次につなぐ 2022

みなさんも知っていると思いますが、当塾の高校3年生が医学部に合格しました。

医学部医学科は将来医者になるわけですが、医学部に合格するのはとても難しく、一番優秀な高校に通っている生徒でも数人ぐらいしか合格しません。

小学生の時から医者になりたいと夢を見て、誰しもが夢だと思っていました。

塾長は夢の注文を受けました。だから夢に向かって一緒に向かいました

塾長は医学部に合格する力は持っていません。はっきり言ってこの生徒の方が勉強はできます。

進むべき方向を示し、時には相談し、時には無駄話をし、時には一緒に考えてきました。

国語や小論文はまだ教えることが残っていましたが、ほかには何も教えることが無い。

信じたり疑ったりしながら、必死に勉強してきました。

「できるからやった。」ではなく、「やったからできた。」のです。

小学6年生で入塾し約6年半、小学校よりも長い期間この塾に通ってくれました。

ずっと同じ担任(塾長)。これは塾でなければできないこと。

塾長は、良い成績を取ってほしいわけではありません。難しい学校に行かなくてもかまわない。

夢なんて今は無くてもいい。

でも、生きていかなきゃいけないということです。

やりたくもないことを、けっこう頑張ったな。」という経験をしてほしいということです。

「やりたくないこと、嫌なことはやらなくていい。」それはそれでかまいません

でも、その責任は自分が取らなければなりません。

この国は、昔の人たちががんばったおかげで、がんばらなくてもどうにかなる世の中です。

これから生きていくなかで、もっと頑張りたいと思ったときに、頑張ったことがあったほうが頑張りやすいのです。みなさんの身近な人は、みなさんのために頑張っていませんか?

成功してもしなくても、頑張った過去がみなさんに自信を与えてくれると思います。

失敗をしないようにするには、先に失敗しておくしかありません。

 

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今日も昨日と同じか

意外な使い道。

 

塾長が若いころ、パソコンが流行っていたので、コンピューター関連の仕事に就いた。

法学部を生かせる仕事なんてなかったので、たくさん募集していたコンピューター関連に行ったわけだ。そこで2進数や16進数、関数を使う羽目になった。まさかこんなことで使うとは。

ついでにハンダ付けやパイプの径を測るのに三平方の定理など、消えた記憶を掘り起こした。

 

雷の光と音で、おおよその距離を計算し、近かったら外に出るのは控えたい。雷による事故は毎年あることはあまり知られていない。

知っていれば使う場面が増え、知らなくてもなんとかなる。

何も知らないと、知らないうちに事故にあい、だまされることもあるということ。

 

得手不得手 不得手の事に 数をかけ  後は不得手も 得手となるべし

                                             新陰流兵法

進路と志望校

受験生は、そろそろ進路や志望校が決まり始めてくる時期です。

 

T学園の先生が言っていた言葉を思い出しました。

「女子は根拠のない不安にかられて、安全な学校を受験し

 男子は根拠のない自信で受かりもしない学校を受験する。」

 

この塾は、公立高校受験についていえば安全なところを受験したほうが良いと思っています。

中学や大学受験は、人によって全然違うので一言では言えません。

 

志望校は、一度は見ておいた方がよいです。

しかし、一度も見たことがない学校に進学する人もいます

それは悪いことではありません

 

あまりよくないことは、希望していない学校に行くことです。

「入学してみたら、思っていたのとちがった。」

というのはよくあることです。何度も見学に行っても、行かなくても、第一志望でも、そうでなくても、こういうことはあります。

 

第一志望に受からなかったときのこと、第二志望の学校に通うことを考えていなかったときのことを考えていないと、想像以上につらい思いをします

 

第二志望でも、行かないつもりで受験してはいけません。

 

大人になると、自分が通っていた高校や大学のレベルなんてどうでもよくなります

しかし、まだ学生のみなさんには高校の偏差値や成績がとても強く影響すると思います。

 

高校は、そこでどう過ごすか。

大学は、そこで何を学ぶか。

 

塾長が今思うことは、大学は社会人になってから行くべきだと思います。どんな仕事をしたいのかもわからずに、将来の仕事のために勉強しても難しいでしょう。

 

高校は通過点。湘南高校でも上鶴間高校でも同じ大学に進む生徒はいます。結果はおなじこと。

 

自分で決めた学校か、イヤイヤ行く学校か、その気持ち一つで大きな違いが出ます。

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今日も昨日と同じか?

塾長は学割を使える。

 

勉強は大人になっても続(つづ)く。

周りの大人に聞いてみればわかる。資格を取らなければならなかったり、仕事を覚えたりすることも勉強だ。主任や課長になったら、部下の管理を勉強し、さらに新しい仕事を勉強する。

ただし、その勉強は何のためにやっているのかがわかりやすい。

 

高校生までは、何のために勉強しているのかわからないかもしれない。それじゃあ勉強する気にはならないだろう。英語なんて必要もないのになぜ学ぶのか。毎年その理由を聞かれる。

世界制覇をしたイギリスと、戦争に勝ったアメリカのせいだろうか。

 

100年前の日本のえらい人たちも英語をしっかり勉強していた。君たちはやらないのか?

 

苦は楽の種、楽は苦の種と知るべし

             徳川 光圀

教育の理想と現実

今のような日本の学校制度は、明治時代に作られました。(学制:中3以上は知っているはず)

 

基本的に、教科書の丸暗記のような機械的な勉強だったようです。

座席を成績順で決めるというようなこともあり、すべての子供を同じような能力を持った人に育てる教育だったようです。(どこかの塾にもありますね。

 

そんな教育は、早くも見直しが始められ、大正時代には『新教育』という考え方が広まります。

この新教育という考え方は、明治までの教師や大人中心の教育から、子供中心の教育へ変えて、子供たちの創造性や個性を大事にしようとした教育でした。

 

このように、新教育は今の教育の考え方と似ています。というより、新教育の考え方が発展していって今があるのでしょう。

 

しかし、ちょっとおかしいと思いませんか?

 

学校に通っているみなさんは、学校が子供中心になっていると思いますか?

 

小学校はまだ楽しいかもしれませんが、中学校は、部活やテスト、内申点に気を使って学校生活を送らなければならない。

 

それでも、塾長が子供のころに比べると、今の方がとても良くなったと思います。

 

個性や創造性って何でしょうか。

やりたいことだけをやるのが個性を育てる教育ではないことは確かです。

 

どこかの音楽の先生が言っていました。「音楽で成績をつけるというのは・・・と思います。」と。

努力だけではどうにもならないものに、成績をつけられるのは今でも納得がいきません。

 

中学校は、今年から学習指導要領というものが変わりました。

テーマは「生きる力」らしいです。

えらい先生方のおっしゃることは、一つ一つその通りだと思います。

 

でも、実際はどうなんでしょうかね。

 

どこかの公立学校の先生が言っていました。「実際は明治時代と変わらない。」

 



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今日も昨日と同じか?

コンピューターの支配。

塾長のパソコンが壊れた。今年は塾で使っているパソコンが壊れたり、タブレットが壊れたりと、いろいろな電化製品が壊れて大変だ。

塾長はGoogleとAmazonに、ほとんどの個人情報を渡している。もうGoogle無しでは生活ができない。今回もGoogleがなかったら大変なことになっていた。

怖いと思うこともあるが、もうどうにもならないところに来ている。

塾長は、Googleで名前を検索すると出てきてしまう。誰でも塾長に会いに来ることができるし、連絡することができる。塾長の個人情報は公開情報だ。別に困ったことは今までない。

 

子供が小学生のとき、親班長というのをやったが、メールアドレスを教えてくれない人がいた。

教えてくれない人には連絡しませんと伝えた。

 

老にして学べば すなわち死して朽ちず

          佐藤 一斎(儒学者)