教育の理想と現実

今のような日本の学校制度は、明治時代に作られました。(学制:中3以上は知っているはず)

 

基本的に、教科書の丸暗記のような機械的な勉強だったようです。

座席を成績順で決めるというようなこともあり、すべての子供を同じような能力を持った人に育てる教育だったようです。(どこかの塾にもありますね。

 

そんな教育は、早くも見直しが始められ、大正時代には『新教育』という考え方が広まります。

この新教育という考え方は、明治までの教師や大人中心の教育から、子供中心の教育へ変えて、子供たちの創造性や個性を大事にしようとした教育でした。

 

このように、新教育は今の教育の考え方と似ています。というより、新教育の考え方が発展していって今があるのでしょう。

 

しかし、ちょっとおかしいと思いませんか?

 

学校に通っているみなさんは、学校が子供中心になっていると思いますか?

 

小学校はまだ楽しいかもしれませんが、中学校は、部活やテスト、内申点に気を使って学校生活を送らなければならない。

 

それでも、塾長が子供のころに比べると、今の方がとても良くなったと思います。

 

個性や創造性って何でしょうか。

やりたいことだけをやるのが個性を育てる教育ではないことは確かです。

 

どこかの音楽の先生が言っていました。「音楽で成績をつけるというのは・・・と思います。」と。

努力だけではどうにもならないものに、成績をつけられるのは今でも納得がいきません。

 

中学校は、今年から学習指導要領というものが変わりました。

テーマは「生きる力」らしいです。

えらい先生方のおっしゃることは、一つ一つその通りだと思います。

 

でも、実際はどうなんでしょうかね。

 

どこかの公立学校の先生が言っていました。「実際は明治時代と変わらない。」

 



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今日も昨日と同じか?

コンピューターの支配。

塾長のパソコンが壊れた。今年は塾で使っているパソコンが壊れたり、タブレットが壊れたりと、いろいろな電化製品が壊れて大変だ。

塾長はGoogleとAmazonに、ほとんどの個人情報を渡している。もうGoogle無しでは生活ができない。今回もGoogleがなかったら大変なことになっていた。

怖いと思うこともあるが、もうどうにもならないところに来ている。

塾長は、Googleで名前を検索すると出てきてしまう。誰でも塾長に会いに来ることができるし、連絡することができる。塾長の個人情報は公開情報だ。別に困ったことは今までない。

 

子供が小学生のとき、親班長というのをやったが、メールアドレスを教えてくれない人がいた。

教えてくれない人には連絡しませんと伝えた。

 

老にして学べば すなわち死して朽ちず

          佐藤 一斎(儒学者)