何のために受験をしてその学校に行くのでしょうか。
小学校から大学まで、どの学校に受験して入学しても、思っているような楽しい生活が待っているとは限りません。
人生が約束されるわけでもありません。
苦労しない可能性が高くなる程度でしょう。でも、誰も苦労はしたくないでしょう。
いくら大人たちが「勉強しろ」といっても、必要かどうかがわからないと勉強なんてやる気にならないとは思います。
そして、勉強が必要だと気付くのは大人になってからだと思います。そうなると責任は自分で取らなければいけないんです。今気づけば責任は親や周りの大人のせいにできるってことです。
受験は勉強したら勉強しただけ結果に出ます。結果が出なかったのではなく、結果を出せなかったということ。運も実力のうちであり、実力も運のうちでもあります。
受験に勝つだけが人生ではありません。しかし、受験に向かう努力は一生を左右します。
受験はゴールではなく、次に向かってのスタートにすぎません。
塾長はいまだに大学で勉強しています。来年度こそは卒業できそうです。
勉強はいつでもできますが、勉強だけに集中できるのは高校生まででしょう。
試験当日はリラックスしてのぞみましょう。
塾長は、試験の時は教科書や参考書、問題集は一切持っていきません。
試験会場についてからテストが始まる前や休み時間は何もしないで休んでいます。
これが正しいかどうかは分かりませんが、今までそうしています。
テストというのは、意外と精神力や体力を使います。
体調が悪かったり疲れていたりすると十分な力が発揮できません。
要は『緊張している時でも十分に力が発揮できるようにしておくこと』ということです。
それはもちろん十分な勉強量です。
今日も昨日と同じか?
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ギリギリの線で生きている
とうとう塾長もコロナにかかってしまった。油断したのか、コロナにかかっても当然なのか。
不幸中(ふこうちゅう)の幸い、塾を休校にしたのが1日だけでよかった。一人で運営していたらと思うが、想像したくもない。
ノドが痛くてしかたなかったので、病院に行こうと思ったが、どうやらコロナ陽性で軽症の人間には病院に来てもらいたくないようだ。4件ぐらい電話をかけてあきらめた。
コロナにかかったが、コロナのワクチンを打ちに行った。副反応で熱が高く、コロナにかかるより辛かった。
受験は体調管理第一である。
自分に打ち勝つことが、最も偉大な勝利である
プラトン