「梶原塾塾長録」カテゴリーアーカイブ

受験は必要か

 20才になった卒業生たちと久しぶりに再会し、お酒を飲みました。よく連絡してくれる卒業生とは、お酒が飲めるようになったら一緒に飲むようにしています。新成人へのささやかな塾長からのお祝いです。

塾長も歳をとるもので、体力が有り余っている若者たちと深夜まで飲み明かすのは少々辛くなってきました。しかし、今年もおいしいお酒が飲めることに感謝しています。

この代は塾生同士のつながりが強く、4つの中学校から来た塾生でも仲がいいです。成人式の写真も送ってくれて、これからも長い付き合いになるだろうと思います。

それぞれの道を歩み始めていますが、その方向性はバラバラです。

みんなが異口同音(同じことを言うこと)に言うことは、『高校はどこでもいい』ということ。

塾長の教え子だからかもしれませんが、大体の卒業生は同じことを言ってくれます

まだ小学生や中学生だと、偏差値ぐらいしか判断する材料がないのでわからないのも無理はありません。少しでもいい学校に行こうとする気持ちはわかります。

塾長は現実ばかりを言います。これは失敗ばかりしてきたからなのかもしれません

勉強しているのに成績が上がらない”という話をよく聞きます。

なぜ成績が上がらないのか。それは勉強していないからです。それ以外にありません。

平日は7時間、休日は15時間ぐらい勉強してから“勉強しても成績が上がらない”と言ってください。それ未満は勉強していると認めません

しかし、効率の良い道というのはあります。

残念ながら今の大学受験は少しゆがんでいます。偏差値が低い高校でも好成績を取れば上位25%ぐらいの大学に進学することができます。

いずれにしても普段から勉強しなければならないことには変わりありません。しかし、目標もないのに勉強することは難しいと思います。

どこの高校・大学に行くかだけが目標ではありません。10年後の自分がどうなっているか、どうなっていたいのかを想像してみてください

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今日も昨日と同じか?

今回で終わりか。

 

去年も同じ時期に京都に行き、居合道6段審査を受審した。

今回も不合格になってしまったが、京都で審査を受けるのはもうやめようと思う。お金も時間もかかって得るものが少ないと思ったからだ。

 

京都で居合道の友人と会って話したのだが、『会社員を続けているかぎりは6段を受けないと思います。』と言っていた。

友人は塾長よりも賢い。

趣味は細く長く。楽しくなければ趣味ではない。

 

一文は無文の師 きのふの我に今日は勝つべし

(新陰流兵法)

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一通りの受験が終了しました。

 

いつも思うことは、受験というのはつくづく精神力だなぁということです。

 

まだ社会に出たことがない子供たちにとって、受験はとても大きな壁だと思います。

しかし、大人になると受験というものの結果はどうでもよくて、受験に向かって頑張ってきたことが重要になってきます。

 

 

いい中学、いい高校、いい大学に行っていい会社に入る。多くの人がこれを目指しています

これはなぜでしょう。

 

人生の成功? これが成功に思いますか?

勉強しない人たちにはこれが「成功」に見えないはずです。だから勉強しないのでしょう。

 

でも、塾長にも成功には見えません。いや、ある意味では成功かもしれませんが、一部の成功でしかないと思います。

 

 

何度も何度も言っていますが、偏差値の高い学校に行っただけでは良い人生は約束されません。

生活が安定する可能性が少し高くなるだけです。

それがみなさんにとってどれだけ重要なのか、ということです。

 

 

いいですか?偏差値が高かったら人生成功するなら、塾長はもっと偉くなっているはずです。

 

しかし、勉強ができる人は努力ができる人が多いということです。

だから結局は勉強できる人が成功する可能性が高いのです。

 

 

もう答えが出ていると思います。

 

 

すぐに諦めてしまうのでは、あと少しで成功することも逃してしまう。

井戸を掘っているときに、あと少し掘れば水が出るのに止めてしまう。

「努力した者が全て報われるとは限らん。しかし成功した者は、皆すべからく努力している。」鴨川会長

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今日も昨日と同じか?

気になる手紙

10年ぐらい前まで、この塾は梶原塾ではなかった。

ついこの間、個別学習セルモという塾をやっている会社から封筒が来た。ようするに、仲間になりませんか?っていうことだ。

もう知っている人も少なくなっていると思うが、10年前、梶原塾はセルモ東林間教室だった。まさかこんな形でセルモと再会すると思っていなかった。

『全国に100教室以上を展開』と書いてあった。物は言いようである。300から100に減ったまでだ。

いいことばかり言う人は信用ならない。

お会いしたその日から、別れの時の来るのが辛うござんした

   男はつらいよ  車 寅次郎

合格で人生は決まらない

大学受験はすでに始まり、中学受験と高校受験もまもなくはじまります。

いい学校に入れば、いい人生になるのか。

そもそもいい学校とはなんだろうか。

いい学校=偏差値の高い学校 ではありません。“絶対に”です。

偏差値の高い学校=楽しい学校生活 ではありません。“絶対に”です。

どちらも入ってみなければわかりません。

イヤな友達、イヤな先生が一人いるだけで学校生活はイヤなものになるでしょう。それは偏差値の高い学校でも同じことです。

偏差値が高い学校は、イヤな人がいないのですか?そんなはずがありません。

どんな学校かというのは、人の感想でしかなく、実際は偏差値と教育方針ぐらいしかわからないのではないでしょうか。

偏差値から分かることは、そのレベルの理解力がある人が集まっているということぐらいでしょう。

荒れていない、いい学校に進学できる、いじめが無い、そんなことは想像でしかありません。

それでは受験に意味が無いのか。それは違います。

塾長は、受験に向けて努力することに意味があると思っています。

それは推薦でも一般受験でも同じことです。そのために努力することに意味があります。

ここで頑張れたら、この先の人生でも頑張れるときがあります。その時のための訓練でしかないと思っています。

イヤなことからすべて逃げるのもいいと思っています。でもそれには覚悟が必要です。

逃げ回るには、逃げるための環境が必要です。それは親に頼るということだと思います。

いつまで逃げ回れるのでしょうか。逃げられる環境があるというのはうらやましいです。

ここにきて体調不良の受験生も増えてきました。“しかたない”と思いますか?

体調不良はどうにもなりません。気を付けるしかありませんよね。

でも、受験に言い訳はありません。ただ落ちるだけです。“しかたない”ですか?

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今日も昨日と同じか?

弟子が増え、仕事も増え、お金は減る

 

塾長は居合道をやっていて、道場を開いている。

新しく会を作って2年が経ち、会員が10人を超えた。ありがたいことであるが、ほぼ利益がないので大変なだけである。

 

では、なぜやるのか? そんなことは塾長が聞きたいぐらいだ。

 

また3月に京都まで行って居合の審査を受けてくる。気が向かない。

巣立ちの時が近づいてきた。

塾長はいつもここにいる。

 

       笑われて笑われて強くなる

            太宰治(作家)

教育の大事さ

教育は、国の仕事でとても大事なことの一つだと思っています。

学校というのは4000年以上も前からあります。教育のやり方は変わっていくと思いますが、教育というものは、この先も無くなることはないでしょう。

 

教育は世の中を変えることができます。これは本当です。

 

吉田松陰(しょういん)という男がいました。(中2以上は知っているはず)

詳しいことは書きませんが、この人は教育者であり、この人に教えられた人たちが明治維新で活躍します。(伊藤博文や桂小五郎(木戸孝允)です)

明治維新は日本の革命ですが、たった1年間の教育で革命を起こすまでになりました。

 

松陰は牢屋に入れられてしまいますが、その牢屋の中で600冊もの本を読み、牢屋の中で授業を始めました。また、松陰も他の牢屋の仲間から俳句や書道を習ったそうです。

 

 

そんな松陰は、一度入ったら誰も出たことのない牢屋から、仲間たちと一緒に開放されることになりました。教育が役に立つと思われたのでしょう。

 

 

結局、松陰は処刑されてしまうことになりますが、その弟子たちが今の日本を作ったといってもいいと思います。やや過激な考え方の持ち主だったようですが、教育という面ではとても優れていたように思います。

 

 

しかし、自分から教育されに行くということはむずかしく、やりたくもないことをやらされているようにも思いますよね。だってみんな勉強嫌いなんですから。

 

太宰治がおもしろいことを言っています。

勉強が、学校を卒業してしまえば、もう何の役にも立たないものだと思っている人もあるようだが、大間違いだ。植物でも、動物でも、物理でも化学でも、時間のゆるす限り勉強して置かなければならん。日常の生活に直接役に立たないような勉強こそ、将来、君たちの人格を完成させるのだ。

何も自分の知識を誇る必要はない。勉強して、それから、けろりと忘れてもいいんだ。覚えるということが大事なのではなくて、大事なのは、カルチベート(深める、修める)されるということなんだ。

 

今はやりたくない勉強も、年を取るとやりたくなる。

今日も昨日と同じか?
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一年の計は元旦にあり

 

今年の正月も出かけずに家でレポートを書いていた。

新年早々、日本は大変な年になることを予感させられることが起こっている。

今年が始まったばかりだが、ふるさと納税で災害の寄付をした。毎年どこかの災害援助でふるさと納税しているのだが、この国が落ち着くことはない。

20年以上も前に働いていた仕事の関係で、日本全国に友人がいるが、彼らは災害が起こると救助に向かう立場だ。どちらにしても心配である。

 

いつもと変わりない日を過ごせることはありがたい。明日、何が起ころうとも君たちは勉強したほうがいい。

 

学ぶとは誠実を胸に刻む事 教えるとは、希望を語ること 

                            ルイ・アラゴン(詩人 フランス)

やりたくない

好きでもない勉強なんて誰もやりたくないですよね。

塾長だってそうです。

 

ではなぜ塾に来ているのか。

・親に入れさせられた

・一応このままではヤバいと思った

・塾に行かないとやらない

 

塾に来る理由はいろいろあると思います。

将来使わない勉強ばかりです。なぜ勉強するのか、しなければいけないのか。

そう思っていても、イヤイヤでも勉強しているみんなはえらいですよ。

 

そんなに嫌ならやらなきゃいい

これが塾長の答えです。

 

イヤだイヤだといって勉強から逃げるのは中学校1年生までで卒業してください。

 

今の世の中は、誰も厳しいことが言えない時代です。これは君たちにとっては厳しいことかもしれません。なぜなら、君たちが勉強しなくても誰も怒らないし、君たちの好きなようにさせるしかなくなるからです。

 

要するに、自分で自分に厳しくするしかなくなっているのです。

「厳しいことや嫌なことからは逃げてもいいですよ」っていう世の中になってきています。ある意味これはいいことだと思います。無駄に厳しかった昭和の時代が終わったのです。

 

ではどうなるのか。

自分で自分を厳しくできる才能のある人だけが生きていけるようになる気はしませんか?

 

塾長は昭和の人間なので、昭和が抜けきれていないかもしれません。それでも年齢とともに昔のように怒る元気がなくなってきました。そこは年の功でカバーします。

 

どこかの塾は「やる気スイッチ」を押してくれるらしいですね。また、どこかの塾の先生は魔法の言葉でやる気を出してくれるらしいですね。

 

そんな魔法があったら誰も苦労しない。あったら塾長だってそこに行く。

今日も昨日と同じか?
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欲しがる名誉

 

塾長が居合道を稽古する会を作ってから2年が経とうとしている。

それまでは段位を取ることを目的にしていたが、塾長はそのことに疑問をもっていた。

塾長の会に入会してくる弟子たちには、段位を取ることを強制していない。そうすると、半分ぐらいは段位に興味がない人がいることがわかった。

 

塾長が今まで追いかけていた(追いかけさせられていた)段位とはなんだったのだろうか。

 

修行を積んで強くなる人たちは素晴らしいとは思う。しかし、それで何かを失っている人も多い。

 

稽古とは一より習い十を知り 十よりかへるもとのその一 

                                                     千利休(茶人、商人)

100日を切る

大学、高校、中学の入試まであと3カ月ぐらいです。

 

あと3カ月しかないのか、3カ月もあるのか。

 

3カ月という時間は、夏期講習から今までぐらいの時間です。

今年の夏は長かった気がしますが、もう秋が来て冬が見えています。

3カ月どころか3年すらあっという間と感じるのではないでしょうか。

 

時間というものは過ぎていくばかりで増えることはありません

残り時間は少なくなり、あっという間に卒業です。

 

 

なぜ偏差値の高い学校を目指すのか。

塾長はそんな学校を勧めたことはありません。偏差値で学校を選んではいけないと言っています。

 

難しい学校は、それなりに努力しなければ合格できません。

難しいということに価値があるのです。

 

 

単純に頭がいいから合格したわけではありません。

逆に、頭が悪いから受からないわけでもありません。

努力したから合格し、努力が足りないから不合格なのです。

 

難関校の合格にはそれなりの努力があったということです。

 

 

難しい学校に行かなければいけないとは言っていません

努力すること、努力できることに価値があると言っているのです。

 

ですから、この塾は努力をすることを目的にしているのです。

点数や成績を上げることは努力した結果にすぎません

 

では、努力したくなかったら?

塾をやめてもらっても構いません。塾長の教えがつらいだけになってしまいますから。

 

諦めることは悪いことではありません。他の道を探すのも一つの方法です。

吾輩は猫である。名前はまだない。どこで生れたか頓と見当がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。

今日も昨日と同じか?
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4周走り終えた。

 

便利なものが出てくるたびに、人は忙しくなっていく。

スマホは便利だ。なんでも調べられて、いつでも友達とつながることができる。

しかし、スマホを見る時間が増えて、君たちは楽に、豊かになったのだろうか。親や学校にしばられないとスマホばかりをのぞき込み、どうでもいいことに心を奪われる。

 

早く仕事を終わらせるために便利になり、さらに仕事をするようになる。

 

塾長の人生も折り返し地点をすぎた。残りの充電が50%を切ったスマホのようだ。

しかも充電が増えることは無い。便利を捨てれば時間が増えるだろうか。

 

自分に打ち勝つことが、最も偉大な勝利である 

                            プラトン

出来ないことは意外と少ない

また私立高校に行ってきました。生徒が進学したので、そのあいさつ回りです。

私立学校の先生と話をするのはおもしろいです。私立学校は会社と同じで、結果を出さないとつぶれてしまいます。だから、いろいろな意味で一生懸命にがんばっています。

学園長とお話する機会があったので、いろいろ聞いてきました。その中で印象に残ったのは

ジェネラリストはいらない』(いろいろなことをたくさん知っている人)

という言葉でした。

この①から④の中で、③以外は『できること』なんですよね。

③はあきらめてもらっていいです。できないし嫌いなものは頑張る必要がありません

それでは全部嫌いで全部できなかったらどうするのか?

そんなことはあり得ませんが、もしそんなことがあったら、あきらめてもらっていいです。

日本には社会権というものがあって、誰でもどんな状態でも生きていく権利があります

ただし、それが幸せかどうかはわかりませんし、自分に都合よくできているかわかりません。

自分の好きなことを仕事にできる人は幸せだと思います。しかし、それができる人というのはとても少ないと思います。

名人と呼ばれる職人には、好きでもない仕事についた人が多いそうです。

できることをコツコツと続ける。それからその仕事が好きになっていったそうです。

生きていれば、そのうちいいことあります。

今日も昨日と同じか?
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ブラックでもホワイトでもダメ。

 

ブラック企業という言葉が出てきて久しい。世の中は少しずつ良くなってきているのか、ホワイト企業が増えてきているようだ。

 

最近、『ゆるすぎて辞めたい』という若者が増えているようだ。

仕事が楽すぎると、自分が成長できるかどうか不安になってやめたくなるそうだ。

 

そういえば塾長の先輩にも「ぬるま湯には飽きた」といって辞めた人がいた。

 

塾長が自衛隊にいたころ、机の上に座っただけでバツとして腕立て伏せを300回もやらされたことがある。

辞めても次の仕事があればいいのだが。

 

苦は楽の種、楽は苦の種と知るべし 

                                                     徳川光圀

夏休みの成果

夏期講習お疲れさまでした。

模擬試験も終わり、夏の疲れがたまってきたかもしれません。

 

今年の夏もみんなよく頑張りました。

頑張ったら、頑張った分の成果があります。それは点数だけにかぎったことではありません。

効果がすぐに出るともかぎりません。

頑張った成果というのは、明日にも出るかもしれませんし、10年後かもしれません。

もしかしたら死んだあとかもしれない。

 

塾長は塾の休みの間は大学に行っていました。この4年間は毎年大学に行っていて、塾長には夏休みというものがありませんでした。

 

 

塾長は何のために大学に行っているのか。

 

 

みんなはこれから進学していって、頑張り次第でなんにでもなれる可能性があります。

塾長にも可能性はあるかもしれませんが、みなさんの可能性に比べればゼロに等しい気がします。

塾長が勉強した成果は、みんなに勉強を教えることでお返しします。

 

 

そもそも、成果が無ければいけないものなのか

勉強したら、将来役に立たなければいけないものなのか

 

 

ちょっと思うのは、みんなが思っている『将来役に立つ』っていうのは、はっきりしすぎていると思います。(具体的すぎる)

 

 

無駄だと思うことに時間をかけられるのはうらやましいです。

 

塾長は来月で48歳になります。

定年まであと12年。そろそろ老後が心配になってきました。

 

今からなにかを習っても、それを活かせる残り時間が少ない。

若いっていうのはうらやましい。まあ、塾長も若いころはあったわけですが。

今日も昨日と同じか?
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再会の連続

 

夏期講習が終わるころ、数年前に卒業していった生徒たちが塾に訪れた。

就職の内定を報告しに来てくれた生徒、塾が終わるころに突然数人で塾に来て酒を飲んで話に来た生徒、仕事帰りに一緒に飲みに行った生徒、多くの再会があった。

この塾を覚えていてくれることもうれしいし、小学生だったあいつらと酒を飲む日が来るというのもうれしかった。

そもそも、それぐらいしか塾長には楽しみが無い。

 

コロナのせいで卒業生と飲む機会が無くなっていたが、ようやく元に戻りつつある。

しかし、そろそろ塾長も歳だ。いつまで元気でいられるか。

 

笑われて笑われて強くなる

         太宰 治(作家)

1学期の終わりにむけて 2023

中学生は期末テストお疲れさまでした。公立中の修学旅行も終わりました。

高校生はこれから期末です。頑張りましょう。

 

中学生の6月の勉強時間を見てみました。

だいたいの時間ですが、一番勉強した生徒と、勉強していない生徒を見てみましょう。

 

一番勉強した生徒(3年生) 80時間前後(去年は60時間ぐらい)

一番勉強していない生徒(1、2年生) 9時間前後(去年は15時間ぐらい)

 

受験生の自覚があるかどうかで勉強時間は大きく変わっているようです。

 

 

勉強しないというのは、たとえば

プロ野球選手を目指している人が全然練習していなかったら、「何言ってんだこいつ?」って思うのと同じで、点数上げたいって言っているのに、勉強しないのだから、「何言ってんだ?」ってことだと思うのです。

 

 

時間はみなさんに平等にあたえられています。自分の勉強時間をたしかめてみてください。

成績が上がらなかったら、もっと勉強しないといけないということです。

 

 

塾長は、簡単に夢のことを話しませんし、夢を見させることもしません。

夢というのは、実現したときや、実現に向けて頑張っている、正しい方向で頑張っているときに言えることだと思っています。

 

また、無責任に夢を見させることはウソをつくことだとも思っています

 

基本的に、やったことと、やったことの結果というのは同じ量と思っていいと思います。

 

ピカソという芸術家を知っていますか?

絵を描くことを頼まれて、小さい紙に30秒ぐらいで描いたそうですが、「値段は100万ドルです」と言ったそうです。頼んだ人がおどろいたのは言うまでもありません。30秒で描いた絵が100万ドルもするのかと思いますが、“30年と30秒”だということ。長い経験と努力の積み重ねで、大きな成果を得ることができる

まあ、この話は都市伝説みたいですが。

今日も昨日と同じか?
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見ているぶんにはおもしろい。

 

ネットで塾や学校の人たちが、かけ算の順番のことで大論争になっているのをたまに見る。

小学校の算数のテスト(カラーのあれ)で、かけ算の順番が違うからという理由で、答えが合っているにもかかわらず×にされたという話だ。

数学の偉い先生が言うには、「かけ算に順番はない」ということらしい。

塾長的にもかけ算の順番なんてどうだっていいと思う。

 

ただ、こんなことでテストで×をつけるということも、大論争になるということも、見ているぶんにはおもしろいなぁと。

 

笑われて笑われて強くなる

             太宰治

受験はスタート

何のために受験をしてその学校に行くのでしょうか。
小学校から大学まで、どの学校に受験して入学しても、思っているような楽しい生活が待っているとは限りません
人生が約束されるわけでもありません。

苦労しない可能性が高くなる程度でしょう。でも、誰も苦労はしたくないでしょう。

いくら大人たちが「勉強しろ」といっても、必要かどうかがわからないと勉強なんてやる気にならないとは思います。
そして、勉強が必要だと気付くのは大人になってからだと思います。そうなると責任は自分で取らなければいけないんです。今気づけば責任は親や周りの大人のせいにできるってことです。


受験は勉強したら勉強しただけ結果に出ます。結果が出なかったのではなく、結果を出せなかったということ。運も実力のうちであり、実力も運のうちでもあります。


受験に勝つだけが人生ではありません。しかし、受験に向かう努力は一生を左右します。
受験はゴールではなく、次に向かってのスタートにすぎません

塾長はいまだに大学で勉強しています。来年度こそは卒業できそうです。
勉強はいつでもできますが、勉強だけに集中できるのは高校生まででしょう。


試験当日はリラックスしてのぞみましょう
塾長は、試験の時は教科書や参考書、問題集は一切持っていきません。
試験会場についてからテストが始まる前や休み時間は何もしないで休んでいます。
これが正しいかどうかは分かりませんが、今までそうしています。

テストというのは、意外と精神力や体力を使います。
体調が悪かったり疲れていたりすると十分な力が発揮できません。


要は『緊張している時でも十分に力が発揮できるようにしておくこと』ということです。
それはもちろん十分な勉強量です。

今日も昨日と同じか?
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ギリギリの線で生きている

 

とうとう塾長もコロナにかかってしまった。油断したのか、コロナにかかっても当然なのか。

不幸中(ふこうちゅう)の幸い、塾を休校にしたのが1日だけでよかった。一人で運営していたらと思うが、想像したくもない。

ノドが痛くてしかたなかったので、病院に行こうと思ったが、どうやらコロナ陽性で軽症の人間には病院に来てもらいたくないようだ。4件ぐらい電話をかけてあきらめた。

コロナにかかったが、コロナのワクチンを打ちに行った。副反応で熱が高く、コロナにかかるより辛かった。

受験は体調管理第一である。

 

自分に打ち勝つことが、最も偉大な勝利である

              プラトン