夏期講習おつかれさまでした。
受験生は今までにないぐらい勉強したと思います。よく頑張りました。
しかし、いつも言うのですが、塾長は受験生の時には1日15時間ぐらいは勉強していました。そんな人は世の中いくらでもいるのです。そういう人たちに勝つ必要はありませんが、努力することはマネしてほしいと思います。
塾生に「教科書を読め」と言うと「読んだ」と返ってきます。
1回や2回読んだぐらいでは読んだとは言えません。『目を通した』というのです。10回20回読んで理解してから『読んだ』といえるのです。
塾生に「勉強しろ」と言うと「勉強した」と返ってきます。
宿題をやっただけでは勉強とは言えません。また、3時間や4時間勉強したぐらいでは勉強が得意な友達に追いつくはずもありません。「勝ちたいと思ってない」とかはよく聞きますが、その割には「勉強したのに・・・」と愚痴を言う。これを矛盾という。
入塾の時に言うのですが、たぶん忘れていると思うことがあります。「週に3時間や4時間、塾に来たところで成績は上がりません。」と。
大した努力もしないで成果を求めすぎなのです。
塾長は1日15時間ぐらい勉強していたといいましたが、それでも満点を取ったことはありませんし、1番になったこともありません。1番になった友人は寝ないで勉強していたことも多く、勉強しない日はありませんでした。塾長が勝てるわけがありませんでした。
ということは、週に3時間や4時間どころか、毎日4時間勉強したところで満点は取れませんし、80点を取ることも難しいとは思いませんか?
人より多く努力するというのは難しいことです。
世の中は、難しいことに価値が出てきます。難しいことや少ないものに価値が出ることが多いのです。努力することが難しいということは、努力したことに価値が出るということだと思います。
お金持ちやえらい人になる必要はありませんが、自分の力で生きていけるようになってもらいたいと思っています。
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今日も昨日と同じか?
声が大きいと得をするのか?
埼玉県の県立高校には男子校があるのだが、市民からの声で共学になりそうになっていた。
『県立の男子高校が女子の入学を拒むことは不適切だ』ということで、共学にすることを進め始めたそうだ。ちなみにこの苦情は1件。
県立の男子校が15校、女子校が30校あるそうだが、女子校も共学化しなければならなくなるだろうと思う。もちろん共学の高校もあるので、選択肢はあるのだ。君たちはどう思うだろうか?
何度も言うが、『子ども』という字。『子供』から『子ども』に代わっていった。供という字がお供え物や大人の供をするという言葉を想像させ、差別表現だというそうだ。
これに対して文部科学省は「差別表記ではない」という見解を出している。にもかかわらず、いまだに『子ども』が多く使われている。
声が大きい少数派の意見を聞かなければいけないというのは大人の事情だろう。君たちはどう思うだろうか?
笑われて笑われて強くなる
太宰治(作家)